2023年5月14日、プロバスケットリーグ「B.LEAGUE」の2部リーグ(B2)長崎ヴェルカが、プレーオフで順調に勝ち進み1部リーグ(B1)昇格を決めました。
長崎ヴェルカは、2020年に創設されたチームで、わずか3年でのB1昇格は史上最速とのことです。
そんな長崎ヴェルカですが、2021年にB3リーグへの参入前に、トライアウトで2名の選手と契約をしています。それが「松本健児リオン」選手と「榎田拓真」選手です。
中でも、長崎ヴェルカの契約選手第1号となった「松本健児リオン」選手は、早くからプロバスケットチームでプレイしていた選手です。
今回は、そんな「松本健児リオン」選手の経歴を確認していくとともに、B1昇格を決めた長崎ヴェルカでの活躍を振り返っていきましょう!
松本健児リオンの経歴は?
それでは、松本健児リオン選手の経歴について確認していきましょう。
- 名前:松本健児リオン
- 生年月日:1994年5月30日
- 身長:183cm
- 体重:83kg
- 出身地:神奈川県横須賀市
- リーグ登録国籍:日本
(アメリカ人の父と日本人の母をもつハーフ) - ポジション:SG(シューティングガード)
- 学歴
■横須賀市の小学校(神奈川県 / 詳細調査中)
■横須賀市の中学校(神奈川県 / 詳細調査中)
■中学2年:福井市進明中学校へ転校(福井県)
■北陸学園北陸高等学校(福井県)
■名古屋経済大学(愛知県) →インカレ出場6位 - プロバスケット歴
2016年 西宮ストークスに特別指定選手で在籍
2017年 バンビシャス奈良へ移籍、2020年まで在籍
2021年 長崎ヴェルカの伊藤拓摩GM兼HCから声がかかり、トライアウトに参加→契約選手第1号となり在籍中。 - 公式サイト:https://team-leon.com/
松本健児リオンの小学生時代
松本健児リオン選手は、横須賀の小学校に通っていた際、自己主張が強く超問題児だったしいじめっ子だった(本人談)そうで、お母さんが学校にしょっちゅう呼ばれていたそうです。
小学1年生か2年生の時に、ミニバスケットチームに所属していたお姉さんについていき、シュートを打っていたら楽しくなったのがバスケットボールに触れるきっかけで、小学4年生頃からミニバスケットチームに加入し本格的にバスケットボールを始めたそうです。
小学6年生の時に、お姉さんがU-15の代表候補に選ばれるほどの選手だったため、福井県の高校からスカウトが来て、紹介されたのが北陸高校の「津田監督」という方だったそうです。
ちなみに、津田監督は「津田洋道」さんという方のようで、北陸高校のバスケット部の監督を長年務めてきた方で、香川ファイブアローズの監督・HCとしても活躍された方です。
松本健児リオンの中学生時代
松本健児リオン選手が神奈川県の中学校に通っている中で、代々木体育館でのJBL(現在のB.LEAGUE)の試合に連れて行ってもらい、初めて津田監督と会ったそうです。
その後、中学生ながら高校の遠征に連れて行ってもらったりしていたそうですが
北陸高校の人からは「ケビン」と呼ばれていたそうです。
やがて、北陸高校へ進むために福井県への転校を決意し、中学2年に進級するときに福井市進明中学校へ転校しました。
中学生当時は、津田監督が作った寮で、高校生9人・松本健児リオン選手含め中学生2人が寮生活をしていたそうです。
転校当初はすぐにバスケットボール部には入部しなかったそうですが、隣のクラスのある子から1on1対決を申し込まれ負けたことがきっかけで、一緒にバスケットをやろうとなり入部したそうです。
ちなみに、松本健児リオン選手がバスケット部に入部するきっかけを作ってくれた「ある子」が、現在「シーホース三河」でアシスタントコーチをしている中堀純希さんであることをPODCASTで話しています。
中学3年生の時に、福井県で1位となったあとの夏の北信越大会で、大事な試合でユニフォームを持ってくるのを忘れたことがあるそうです。
松本健児リオンの高校時代
松本健児リオン選手が進学した「北陸高校」は、バスケットの名門校で知られています。
バスケット推薦で毎年その年のスター選手が入部していたため、レベルが相当高く、部員も50人ほどいたそうです。1年生の時の先輩(3年生)の代では、ウィンターカップで優勝したそうです。
2年生の頃は、インターハイに出場しましたが松本健児リオン選手は12人のメンバーには選ばれなかったそうです。その後のウインターカップで初めてメンバーに選出されましたが、1回戦負けしたそうです。
3年生の頃も、インターハイなどなかなか結果を残せず、松本健児リオン選手も出場機会に恵まれず、高校時代はあまり活躍ができないまま3年間が終わったそうです。
松本健児リオンの大学時代
大学ではバスケはやらないでおこうと思っていた松本健児リオン選手ですが、行きたかった語学大学が学費が高いということで、バスケットで推薦をもらった名古屋経済大学へ進学しました。
スタートで使ってもらえるようになったのは2年生の頃でしたが
その頃は中京大学が強く、どの大会でも中京大学にはなかなか勝てなかったといいます。
それまで出場できていなかったインカレに初めて出場を決めましたが、勝利することはできませんでした。
4年生の頃には、キャプテンとして6位の成績を残しました。
しかし、バスケットで大活躍していた大学生時代、3年生まではプロを意識したことがなかったとのことです。
松本健児リオンがプロバスケットボール選手になってから
その後、西宮ストークスに特別指定選手として在籍していますが、出場機会に恵まれずバンビシャス奈良へ移籍して2020年まで在籍。
長崎ヴェルカと契約するまでの1年間は、松本健児リオン選手が契約しているバスケット選手強化・マネジメント会社「ライムズスポーツコンサルティング」の「SHOEHURRY!」でスキルワークアウトのコーチをしていたそうですし、名古屋経済大学の後輩とも合同で練習に励んでおり、所属チームがなくても自身のスキルを磨くことに余念がなく、そのような経験と努力が実を結び長崎ヴェルカのトライアウトに見事合格されました。
当時、取材に対して松本健児リオン選手は次のように述べています。
上に上がっていくごとに環境だとか試合の雰囲気が全然違います。長崎ヴェルカはB3から始まるんですけど、差を感じさせない、B3でもB1ぐらいやるチーム、B1でも通用すると思わせられるチームになれるよう頑張っていきたい
https://basket-count.com/article/detail/66429
また、ジャパネットホールディングスの長崎ヴェルカに所属することについて、松本健児リオン選手は以下のように感じたといいます。
- 会社の規模がすごい。ミーティング等でのデジタル設備など、とにかくすごい。
- 新規立ち上げチームの立ち上げメンバーでできることはなかなかない。また、第一契約選手であることに誇りが持てる。
松本健児リオンの家族構成は?
では、次に松本健児リオン選手の家族構成について確認していきましょう。
松本健児リオン選手のお父さんはアメリカ人、お母さんは日本人であることは経歴の項目でも触れています。さらに、バスケットボールを始めるきっかけとなったお姉さんもいらっしゃるそうですが、instagramには松本健児リオン選手のご家族と思われる女性の姿が3人あります。
松本健児リオン選手の左に移っているのがお母さんだとして、前の列のお二人のどちらかがお姉さんですが、もう一方はお姉さんなのか妹さんなのかは現在調査中です。また、お姉さんについては、自身のPODCASTの中で「僕が小学6年生の時に中学3年生」と話していることから、3歳離れているのではないかと推測されます。なお、もう一人の女性についての情報は、現時点では確認できませんでした。
一方、アメリカには、松本健児リオン選手の従兄弟で、高校3年生の「カーター・ブライアント」という選手がいます。カーター・ブライアント選手はアリゾナ大学へ進学予定で、八村塁選手をリクルートした元ゴンザガ大ACで現アリゾナ大のトミー・ロイドHCの下でプレーするとのことです。
近い将来、松本健児リオン選手の親戚であるカーター・ブライアント選手の姿をNBAで見ることになるかもしれませんね!松本健児リオン選手とともに注目です!!
B1昇格の長崎ヴェルカで松本健児リオン選手が活躍!
松本健児リオン選手が所属する長崎ヴェルカは、冒頭でも記載しましたがB1への昇格を決めています。
松本健児リオン選手は長崎ヴェルカに入団してから素晴らしい活躍を見せています。
2021-2022シーズンでは、全試合に出場しB3優勝・B2昇格に大きく貢献、
また、2022-2023シーズンでも、ケガなどで欠場した試合はありましたが、B1昇格に大きく貢献しています。
長崎ヴェルカにとって、松本健児リオン選手はチームに欠かせない存在となっています。
来シーズンB1に昇格する長崎ヴェルカの快進撃と、松本健児リオン選手のさらなる活躍に期待したいですね!
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